人からどう思われているかが気になってしまう人へ2
人からどう思われているかが気になってしまう人へ2
人からどう思われるか気になってしまう人が増えているのはどうしてなのでしょう?
いくつかその理由を考えてみたいと思います。
一つは、家族を中心とするコミュニケーションが昔に比べると減っているということ。
テレビやパソコン・スマホ・ゲームなどといった人と向き合わなくても楽しめる時間を多く持てるようになったことで、人と人とのコミュニケーションそのものを楽しむ時間が減ってしまっているのは否めません。コミュニケーションの時間が減るということは、互いを解り合うことや、一緒に居て楽しむことにエネルギーを費やすことを惜しんでしまうので、自分の殻の中に閉じこもりやすくなります。自分の殻に閉じこもることで、他者を恐れたり、逆に理想化したり、思い込みで物事を判断する傾向が現れるようになります。また自己表現が苦手になっていくと同時に、他者とのコミュニケーションを通じて客観的に自分を理解していくことも難しくなってしまいます。
日常このようなことの繰り返しは、自分自身や他者を偏った見方にとどめます。理想化した自分のプライドや、他者への無知から生じる恐れ等によって、自分がどう思われているのか、やたらと気になってしまう傾向が生じてしまうのです。
もう一つは、家族の中で充分な愛情を得られなくなったこと。
夫婦共働きの家庭が増え、子供に対して関心を示す時間が絶対的に減ってしまったことや、逆に核家族化したことで親の愛や関心が偏りやすくなってしまったことが原因として考えられます。
親や養育者からの関心不足は、自己の存在価値感を左右し、関心不足で育った場合は、自己を肯定する力が弱くなります。「自分なんか居ても居なくても同じだ・・・」や「自分は居ない方が良いのでは・・・生まれてこない方が良かったのでは・・・」などという思いを持つようになり、おどおどビクビクしながら生きていく傾向や、世間からそっぽを向いて生きていく傾向が現れるようになります。
また親や養育者の偏った愛情は、それがネガティブなもの(例えば親の寂しさで子供を縛ったり、親の劣等感から子供にその価値観を植え付けたり、無理に乗り越えさせようとしたり等)であればあるほど、子供に悪影響を与え自信を奪ってしまいます。こうした場合、親の承認なしでは自信を持って行動できなくなったり、人目をやたら気にする傾向が現れてきます。
3つ目は価値観が多様化したことにより、両親や養育者との意見の相違により認め合えず信頼関係が歪んでしまっていること。
例えば親が子供に〇〇の様に経済的に安定した道や、人様から賞賛される道を歩んでほしいと思っていても、価値観の多様化した現代では子供は必ずしも経済的安定や、人様から賞賛されることより、自分自身が情熱を燃やせることや、好きなこと・心が喜ぶことをしていきたいと考える人が増えているため、双方の言い分が平行線となり認め合えず信頼関係に歪みが生じてしまっていることがあります。
両親や養育者から充分に認めてもらえなかった子供は、最も身近な人から認めてもらえなかったという心の挫折があり、どこかで後ろめたさを抱える等、真の自信を失っている傾向にあります。
ここまで大まかな例を三つのタイプに分けて挙げてみましたが、現代の社会でコミュニケーションが不足し、愛情が不足し、信頼関係が歪んでいる傾向があるとするならば、自分の存在があやふやで自信が持てず、人からどんな風に思われるのか不安になってしまう人が増えているというのも無理の無い話かもしれません。
どうしても・・・人からどう思われているのか気になってしまう人は、自己肯定感や自分の存在価値感を他者とのコミュニケーションを通して育んでいくことが、自信(自己信頼)を回復する近道になりますので、信頼のできる人を見つけて、この部分を育んで行くことをお薦めします。

いくつかその理由を考えてみたいと思います。
一つは、家族を中心とするコミュニケーションが昔に比べると減っているということ。
テレビやパソコン・スマホ・ゲームなどといった人と向き合わなくても楽しめる時間を多く持てるようになったことで、人と人とのコミュニケーションそのものを楽しむ時間が減ってしまっているのは否めません。コミュニケーションの時間が減るということは、互いを解り合うことや、一緒に居て楽しむことにエネルギーを費やすことを惜しんでしまうので、自分の殻の中に閉じこもりやすくなります。自分の殻に閉じこもることで、他者を恐れたり、逆に理想化したり、思い込みで物事を判断する傾向が現れるようになります。また自己表現が苦手になっていくと同時に、他者とのコミュニケーションを通じて客観的に自分を理解していくことも難しくなってしまいます。
日常このようなことの繰り返しは、自分自身や他者を偏った見方にとどめます。理想化した自分のプライドや、他者への無知から生じる恐れ等によって、自分がどう思われているのか、やたらと気になってしまう傾向が生じてしまうのです。
もう一つは、家族の中で充分な愛情を得られなくなったこと。
夫婦共働きの家庭が増え、子供に対して関心を示す時間が絶対的に減ってしまったことや、逆に核家族化したことで親の愛や関心が偏りやすくなってしまったことが原因として考えられます。
親や養育者からの関心不足は、自己の存在価値感を左右し、関心不足で育った場合は、自己を肯定する力が弱くなります。「自分なんか居ても居なくても同じだ・・・」や「自分は居ない方が良いのでは・・・生まれてこない方が良かったのでは・・・」などという思いを持つようになり、おどおどビクビクしながら生きていく傾向や、世間からそっぽを向いて生きていく傾向が現れるようになります。
また親や養育者の偏った愛情は、それがネガティブなもの(例えば親の寂しさで子供を縛ったり、親の劣等感から子供にその価値観を植え付けたり、無理に乗り越えさせようとしたり等)であればあるほど、子供に悪影響を与え自信を奪ってしまいます。こうした場合、親の承認なしでは自信を持って行動できなくなったり、人目をやたら気にする傾向が現れてきます。
3つ目は価値観が多様化したことにより、両親や養育者との意見の相違により認め合えず信頼関係が歪んでしまっていること。
例えば親が子供に〇〇の様に経済的に安定した道や、人様から賞賛される道を歩んでほしいと思っていても、価値観の多様化した現代では子供は必ずしも経済的安定や、人様から賞賛されることより、自分自身が情熱を燃やせることや、好きなこと・心が喜ぶことをしていきたいと考える人が増えているため、双方の言い分が平行線となり認め合えず信頼関係に歪みが生じてしまっていることがあります。
両親や養育者から充分に認めてもらえなかった子供は、最も身近な人から認めてもらえなかったという心の挫折があり、どこかで後ろめたさを抱える等、真の自信を失っている傾向にあります。
ここまで大まかな例を三つのタイプに分けて挙げてみましたが、現代の社会でコミュニケーションが不足し、愛情が不足し、信頼関係が歪んでいる傾向があるとするならば、自分の存在があやふやで自信が持てず、人からどんな風に思われるのか不安になってしまう人が増えているというのも無理の無い話かもしれません。
どうしても・・・人からどう思われているのか気になってしまう人は、自己肯定感や自分の存在価値感を他者とのコミュニケーションを通して育んでいくことが、自信(自己信頼)を回復する近道になりますので、信頼のできる人を見つけて、この部分を育んで行くことをお薦めします。

Posted by 「ほっ」とTime at 17:29│Comments(0)
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