繊細な心を持っていると社会では生きにくい? 2
繊細な心を持っていると社会では生きにくい? 2
だんだん社会での経験が長くなり慣れてくるにつれ、心が自動処理システムを採用するようになっていきます。
これは大体こんな感じでやっておけば良いだろう・・・と。
そしていつの間にかごまかすことや、適当に手を抜くことを覚え、いかにしたら楽できるのか等と考えるようになって、神経が少し図太くなっていく傾向があるかもしれません。
或いは日々生活に追われ必死で生きているうちに、繊細に感じる心をどこかへ仕舞い込んだままになっていたり・・・
またはがむしゃらに夢を追って生きているうちに、ゆとりの中で感じる瑞々しい感情を忘れていることもあるかもしれません。
何れにしろ繊細な心はいつの間にかどこかへ置き去りになって、小さなことを気にしないことや、感じることを麻痺させることが、社会で上手に生きていくコツだと思い込んだまま、悲しいこともそんなに無いけど嬉しいこともそんなに無い日々を過ごすようになってはいないでしょうか?
このような心になってしまうと、時間ばかりがいつの間にかどんどん過ぎ去り、気づいた時には浦島太郎のような心境になってしまうことがあるものです。
私自身このようなことを何年も続けてきた経験があり、何だったんだろう過ぎ去りしあの年月は・・・?
一体自分に何が残ったのだろう・・・?
ふと自分の周囲を振り帰った時、そこには・・・
カラ・カラ・カラ・・・・
カラカラな心とカラカラな現実が転がっていて、まるで年ばかりを取った自分が浦島太郎のように存在しているようでした。
私たちの繊細な心は、本当はどのように扱えばよかったのでしょうか?
次回へ続く・・・

これは大体こんな感じでやっておけば良いだろう・・・と。
そしていつの間にかごまかすことや、適当に手を抜くことを覚え、いかにしたら楽できるのか等と考えるようになって、神経が少し図太くなっていく傾向があるかもしれません。
或いは日々生活に追われ必死で生きているうちに、繊細に感じる心をどこかへ仕舞い込んだままになっていたり・・・
またはがむしゃらに夢を追って生きているうちに、ゆとりの中で感じる瑞々しい感情を忘れていることもあるかもしれません。
何れにしろ繊細な心はいつの間にかどこかへ置き去りになって、小さなことを気にしないことや、感じることを麻痺させることが、社会で上手に生きていくコツだと思い込んだまま、悲しいこともそんなに無いけど嬉しいこともそんなに無い日々を過ごすようになってはいないでしょうか?
このような心になってしまうと、時間ばかりがいつの間にかどんどん過ぎ去り、気づいた時には浦島太郎のような心境になってしまうことがあるものです。
私自身このようなことを何年も続けてきた経験があり、何だったんだろう過ぎ去りしあの年月は・・・?
一体自分に何が残ったのだろう・・・?
ふと自分の周囲を振り帰った時、そこには・・・
カラ・カラ・カラ・・・・
カラカラな心とカラカラな現実が転がっていて、まるで年ばかりを取った自分が浦島太郎のように存在しているようでした。
私たちの繊細な心は、本当はどのように扱えばよかったのでしょうか?
次回へ続く・・・

Posted by 「ほっ」とTime at 22:19│Comments(0)
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