面倒くさがる心
面倒くさがる心
私たちの心の中には、何かにつけて面倒くさいと思う存在がいたりします。
それは仕事や家事・育児・人間関係など様々な場面で登場します。
面倒くさいから後でやろう・・・
面倒くさいからやめておこう・・・
面倒くさいから放っておこう・・・
等様々な場面で、このように思うことはないでしょうか?
そして面倒くさいからと、やらずにいたことが後になって付けが回り、あの時あそこでああしておけば・・・等と後悔したり・・・
また更に面倒くさがって放置し続けたことにより、とうとう何から手を付けたらよいか解らなくなる事態に追い込まれてしまうことさえあります。
面倒くさいで済ませられることならまだ良いのですが、面倒くさいとやり過ごすことで、事態を悪化させてしまうのなら考え物です。
では何故ついつい面倒くさいと思ってしまう存在が私たちの心の中にいるのでしょう?
それはもしかしたら、あなたがあなた自身をコントロールしすぎている結果として起こっているかもしれません。
例えば、やりたくないことを自分に長時間させ続けていることはありませんか?
それは学生であれば勉強だったり・・・
社会人であれば仕事だったり・・・
その他諸々・・・
またもしかしたら、過去に何かを一生懸命行った(もしくは何かを求め続けた)結果、満足な結果が得られず挫折した体験があるのかもしれません。
例えばそれが両親の愛だったり、信頼だったり・・・
ありのままの自分を受け入れられることだったり・・・
その他諸々・・・
私は、中学時代自分に無理やり勉強を長時間させ続けたことがありました。もともと勉強することがあまり好きでなかった私が、受験が近づいているからということで自分を追い込み日夜勉学に励み続けた結果、わずか半年で腎臓を壊してしまいました。その結果、運動することが最も好きだった自分が、運動をすると血尿が出るようになってしまいました。
受験は何とかクリアーしたものの高校に入学してからは、好きだった体育の授業に出ることが出来なくなりました。体育の授業はいつも見学で私は自信を失い、それでも何とか勉学でその失った部分を取り戻そうとしましたが、そうすればそうする程私の腎臓は悪化していきました。終いには自転車をちょっとこぐぐらいで血尿が出始め、学校に行くことさえ難しい状態へと追い込まれしまったのです。
この状態ではお先真っ暗・・・
このままでは将来何もできないのでは・・・
一体何をしたら良いのだろうか・・・
当時の私は絶望が心に染み込み、暗雲が心に立ち込めていました。
その後、母親が知人から紹介された漢方の先生の所に通い、お灸と針と漢方薬で体質を改善することで、時間はかかりましたが何とか立ち直ることはできました。
が、どうせ今後頑張ってもまた血尿が出るようになるのでは・・・腎臓が悪化するのでは・・・
と、いろんなことを思いっきりすることが怖くなりました。
このあたりから、どうせ一生懸命やったって・・・努力したってこんなもの・・・
等と、より強く思うようになり、自分が最も求めていることに関して、どこかであきらめの気持ちを持ってしまうようになりました。
そして最初から面倒なことはやらない方が良い等と、大変なことを避ける習慣も定着するようになりました。
この場合の私は、両親や世間の人達に認められようとして、それ程やりたくもない勉強を無理やり自分にさせ続けたこと、そこで体調を壊し認められたい思いが挫折したことが、面倒くさがったり、諦めたりする原因となっているようです。
人が何かにつけ面倒くさいと思うようになるのは、本筋には自分を何処かで犠牲にしている部分があるのと、何らかの挫折が心の中にあり、その反動として起こっている思いのような気がします。
新しくチャレンジすること、普段の何気ないこと、またちょっとした他者への言葉がけ等に対して、面倒くさいと思う時、本当にそのままやり過ごしてよいのかと、自分に問いかけてみることが大切です。
問いかけてもモヤモヤする気持ちが湧いてきたら、「何が自分を面倒くさいと思わせているの?」と更に質問をして、心の中を探っていくようにします。その原因となっている部分に気付き、癒していくことで、幸せな人生への扉が開かれていきます。
このような心の癒しが進めば進むほど、生命エネルギーは回復し、何かにつけて面倒だなと思うことが少なくなっていくようになるのです。

それは仕事や家事・育児・人間関係など様々な場面で登場します。
面倒くさいから後でやろう・・・
面倒くさいからやめておこう・・・
面倒くさいから放っておこう・・・
等様々な場面で、このように思うことはないでしょうか?
そして面倒くさいからと、やらずにいたことが後になって付けが回り、あの時あそこでああしておけば・・・等と後悔したり・・・
また更に面倒くさがって放置し続けたことにより、とうとう何から手を付けたらよいか解らなくなる事態に追い込まれてしまうことさえあります。
面倒くさいで済ませられることならまだ良いのですが、面倒くさいとやり過ごすことで、事態を悪化させてしまうのなら考え物です。
では何故ついつい面倒くさいと思ってしまう存在が私たちの心の中にいるのでしょう?
それはもしかしたら、あなたがあなた自身をコントロールしすぎている結果として起こっているかもしれません。
例えば、やりたくないことを自分に長時間させ続けていることはありませんか?
それは学生であれば勉強だったり・・・
社会人であれば仕事だったり・・・
その他諸々・・・
またもしかしたら、過去に何かを一生懸命行った(もしくは何かを求め続けた)結果、満足な結果が得られず挫折した体験があるのかもしれません。
例えばそれが両親の愛だったり、信頼だったり・・・
ありのままの自分を受け入れられることだったり・・・
その他諸々・・・
私は、中学時代自分に無理やり勉強を長時間させ続けたことがありました。もともと勉強することがあまり好きでなかった私が、受験が近づいているからということで自分を追い込み日夜勉学に励み続けた結果、わずか半年で腎臓を壊してしまいました。その結果、運動することが最も好きだった自分が、運動をすると血尿が出るようになってしまいました。
受験は何とかクリアーしたものの高校に入学してからは、好きだった体育の授業に出ることが出来なくなりました。体育の授業はいつも見学で私は自信を失い、それでも何とか勉学でその失った部分を取り戻そうとしましたが、そうすればそうする程私の腎臓は悪化していきました。終いには自転車をちょっとこぐぐらいで血尿が出始め、学校に行くことさえ難しい状態へと追い込まれしまったのです。
この状態ではお先真っ暗・・・
このままでは将来何もできないのでは・・・
一体何をしたら良いのだろうか・・・
当時の私は絶望が心に染み込み、暗雲が心に立ち込めていました。
その後、母親が知人から紹介された漢方の先生の所に通い、お灸と針と漢方薬で体質を改善することで、時間はかかりましたが何とか立ち直ることはできました。
が、どうせ今後頑張ってもまた血尿が出るようになるのでは・・・腎臓が悪化するのでは・・・
と、いろんなことを思いっきりすることが怖くなりました。
このあたりから、どうせ一生懸命やったって・・・努力したってこんなもの・・・
等と、より強く思うようになり、自分が最も求めていることに関して、どこかであきらめの気持ちを持ってしまうようになりました。
そして最初から面倒なことはやらない方が良い等と、大変なことを避ける習慣も定着するようになりました。
この場合の私は、両親や世間の人達に認められようとして、それ程やりたくもない勉強を無理やり自分にさせ続けたこと、そこで体調を壊し認められたい思いが挫折したことが、面倒くさがったり、諦めたりする原因となっているようです。
人が何かにつけ面倒くさいと思うようになるのは、本筋には自分を何処かで犠牲にしている部分があるのと、何らかの挫折が心の中にあり、その反動として起こっている思いのような気がします。
新しくチャレンジすること、普段の何気ないこと、またちょっとした他者への言葉がけ等に対して、面倒くさいと思う時、本当にそのままやり過ごしてよいのかと、自分に問いかけてみることが大切です。
問いかけてもモヤモヤする気持ちが湧いてきたら、「何が自分を面倒くさいと思わせているの?」と更に質問をして、心の中を探っていくようにします。その原因となっている部分に気付き、癒していくことで、幸せな人生への扉が開かれていきます。
このような心の癒しが進めば進むほど、生命エネルギーは回復し、何かにつけて面倒だなと思うことが少なくなっていくようになるのです。

Posted by 「ほっ」とTime at 21:34│Comments(0)
│★心のコラム