プライドのために悩みを大きくしていませんか?
プライドのために悩みを大きくしていませんか?
自分が持っているプライドの為に悩みを大きくしていませんか?
普通の人だったら許せることも、あなたが持つ高いプライドの為に許せていない自分が存在し、苦しんでいることはありませんか?
人は自分に対する理想が高ければ高い程、自分に厳しくなる傾向があります。
私にも20歳の頃、こんな経験があります。
高校時代の3年間、私は腎臓の病気にかかり、激しい運動が一切できませんでした。
西洋医学では治らず、漢方の治療を続けてなんとか回復し、大学に進学することが出来ました。
大学に進んでから元々体を動かすことや自然が大好きだった私は、奮起して山岳部に入部することにしました。山岳部と言っても、私の通っていた大学の山岳部はそんなにきつくなく、普通の山登りを楽しむ程度だったので何とかやっていけそうだと思ったのです。
ところが当時の山岳部はお祭り山岳部等と呼ばれていて、お祭り等の行事に積極的に参加しては騒ぐのが習わしでした。そこで入部した直後にお祭りがあって、私も神輿を担ぐことになりました。威勢のいい掛け声と共に街の中を練り歩いたのですが、自分の身長に神輿の高さが合わず、しかも激しい動きでついていくのがやっとの状態。先輩からははっぱを掛けられヘロヘロになりながら、こんな激しい動きでまた腎臓が悪くなったらどうしようなどという、弱気で情けない自分がたくさん顔を出してきました。
更にお祭りの後の飲み会では、皆が騒いで酒を飲んでいる中、私はあまりの自分の情けなさに嫌気がさして一人ポツンといじけてしまっていたのです。その後先輩にその訳を聴かれ、正直に話したものの、そんなことを言い訳にして話している自分が、また情けなく恥ずかしく思えてきて、とことん自分が嫌になったのを覚えています。
今では懐かしい記憶なのですが・・・
当時の私はそんなひ弱な自分が許せず、強くならなければと片意地を張る生き方へとシフトしていきました。一人で山に登ったり、人があまりしないようなことにチャレンジしてみたり、苦しくても一生懸命強くなろうとしました。
これも自分の変なプライドだったのでしょう。
確かに変な強さは身に付きましたが、この変な強さとプライドの為に、失ってしまったものが多々ありました。
それは優しさだったり、思いやりだったり、人と心を共有することだったり・・・
人の弱い所を見るとその人が嫌になり・・・多くの人を嫌いになりました。
その結果、まるで自分の人生が日に日に痩せこけていって意地だけで生きているような感じになって、代わりに苦しさと孤独が私のお友達になりました。
あの時の私は若気の至りで血迷ってしまいましたが、本来ならば自分のひ弱さを認め、労わりながら、そのひ弱い自分と共に生きていけば、辛く苦しい思いをしなくても済んだのかもしれません。そして当時多くの人達と心が通じ合い、協力をし合いながら共に生きることが出来たことでしょう。
このように自分が持つプライドの為に、悩みや苦しみを大きくしてしまっていることはありませんか?
もしそんな自分がいることを感じたら、出来るだけそのプライドを手放して、今の自分の現状をしっかり受け止めてみる・労わってみることから始めてみてはいかがでしょう。そうしてみることで心が楽になり、返って成長していくきっかけを得ることが出来るかもしれません。
普通の人だったら許せることも、あなたが持つ高いプライドの為に許せていない自分が存在し、苦しんでいることはありませんか?
人は自分に対する理想が高ければ高い程、自分に厳しくなる傾向があります。
私にも20歳の頃、こんな経験があります。
高校時代の3年間、私は腎臓の病気にかかり、激しい運動が一切できませんでした。
西洋医学では治らず、漢方の治療を続けてなんとか回復し、大学に進学することが出来ました。
大学に進んでから元々体を動かすことや自然が大好きだった私は、奮起して山岳部に入部することにしました。山岳部と言っても、私の通っていた大学の山岳部はそんなにきつくなく、普通の山登りを楽しむ程度だったので何とかやっていけそうだと思ったのです。
ところが当時の山岳部はお祭り山岳部等と呼ばれていて、お祭り等の行事に積極的に参加しては騒ぐのが習わしでした。そこで入部した直後にお祭りがあって、私も神輿を担ぐことになりました。威勢のいい掛け声と共に街の中を練り歩いたのですが、自分の身長に神輿の高さが合わず、しかも激しい動きでついていくのがやっとの状態。先輩からははっぱを掛けられヘロヘロになりながら、こんな激しい動きでまた腎臓が悪くなったらどうしようなどという、弱気で情けない自分がたくさん顔を出してきました。
更にお祭りの後の飲み会では、皆が騒いで酒を飲んでいる中、私はあまりの自分の情けなさに嫌気がさして一人ポツンといじけてしまっていたのです。その後先輩にその訳を聴かれ、正直に話したものの、そんなことを言い訳にして話している自分が、また情けなく恥ずかしく思えてきて、とことん自分が嫌になったのを覚えています。
今では懐かしい記憶なのですが・・・
当時の私はそんなひ弱な自分が許せず、強くならなければと片意地を張る生き方へとシフトしていきました。一人で山に登ったり、人があまりしないようなことにチャレンジしてみたり、苦しくても一生懸命強くなろうとしました。
これも自分の変なプライドだったのでしょう。
確かに変な強さは身に付きましたが、この変な強さとプライドの為に、失ってしまったものが多々ありました。
それは優しさだったり、思いやりだったり、人と心を共有することだったり・・・
人の弱い所を見るとその人が嫌になり・・・多くの人を嫌いになりました。
その結果、まるで自分の人生が日に日に痩せこけていって意地だけで生きているような感じになって、代わりに苦しさと孤独が私のお友達になりました。
あの時の私は若気の至りで血迷ってしまいましたが、本来ならば自分のひ弱さを認め、労わりながら、そのひ弱い自分と共に生きていけば、辛く苦しい思いをしなくても済んだのかもしれません。そして当時多くの人達と心が通じ合い、協力をし合いながら共に生きることが出来たことでしょう。
このように自分が持つプライドの為に、悩みや苦しみを大きくしてしまっていることはありませんか?
もしそんな自分がいることを感じたら、出来るだけそのプライドを手放して、今の自分の現状をしっかり受け止めてみる・労わってみることから始めてみてはいかがでしょう。そうしてみることで心が楽になり、返って成長していくきっかけを得ることが出来るかもしれません。
Posted by 「ほっ」とTime at 23:44│Comments(0)
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