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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

子供が問題を起こす時・・・家族の中心はどこに?

子供が問題を起こす時・・・家族の中心はどこに?

多くの人々は、子供ができると子供を中心とした家族関係を作りがちです。

しかし子供を中心とした家族関係を続けていくうちに、関係性に偏りや歪みが生じ、子供が何らかの問題を起こすようになるケースが多く見られるようになっています。

例えば子供とはそこそこ良い関係を築いているが、夫婦の関係がはうまくいっていないという場合です。

子供は基本的に家族の中で、家族関係を調和させる役割を持って生まれてきます。

ですので、親子関係がうまくいっていたとしても、夫婦関係がうまくいっていないと、子供は家族の調和を図るために、意識的にせよ無意識的にせよ、多大なエネルギーをそこに使うようになります。

中でも家族をとても愛している子供は、自らが不登校等様々な問題を引き起こし、家族一人一人が向き合い調和のとれた関係になるよう一生懸命働きかけていきます。

そして家族間の調和がある程度整っていけば、子供は問題を引き起こすことを辞め、自分らしさを取り戻していきます。しかし調和が取れない場合は、問題が長期化したり深刻化していくようになります。

このような状態に陥った時、どうしても親は子供の問題を何とかしようとしますが、子供は家族の調和を望んで悪役を演じているので、結果として良くはなってはいきません。

こうした時は、まず夫婦関係を中心とする家族の関係を整えていくことから始めることが順序となります。まずは夫婦で互いに何が出来るかをよくよく話し合っていきます。こうしたことを積み重ねていく内に、互いの信頼感が以前より深いものになっていくことを体験するかもしれません。

子供はお父さんと、お母さんが信頼し合っている姿を見て、安心して成長していくことが出来ます。またそのような両親の関係を見本として、人間関係を構築することを学び、成長することが可能になるのです。

もし子供が何か問題を起こした時は、まず自分たち夫婦の関係はどうなのか?というところから見直してみるよう心がけてみてください。




  


Posted by 「ほっ」とTime at 13:05Comments(0)★心のコラム

自己啓発セミナーやカウンセリングを受けても成果があまり得られない方々へ

自己啓発セミナーやカウンセリングを受けても成果があまり得られない方々へ

昨今、自己啓発系セミナーやカウンセリングを何度受けても、期待した成果が得られないという方々の声をあちこちで耳にすることが多くなりました。これだと思って取り組んだにもかかわらず、あまり変化が見られず、あれはいったいなんだったのだろう・・・?等と思っている人は結構いらっしゃるのではないかと思います。

その一方で、そうしたものに取り組んだことによって目覚ましい成果を上げている人達もいます。そして成果を上げた人たちの感想が、そうしたセミナーやカウンセリングなどの謳い文句になり、それを読んだ人たちが、もしかしたら自分もあのようになれるかもしれないと、淡い期待を抱きながら挑戦していくという構図になっている様にも見えてきます。

しかし、同じ内容のセミナーや、カウンセリングを受けたとしても、何故このように成果が出る人と、あまり出ない人に分かれてしまうのでしょうか?その差はいったい何なのでしょう?

もちろんいろんな要因が有ると思います。
それはタイミングだ・・・
それはカルマだ・・・
負の感情やトラウマが多過ぎるからだ・・・
今まで行ってきた事や生き方と、学ぶ内容にギャップがあり過ぎるからだ・・・

これらはすべて当てはまる要素になりますが、しかしもっと根本の理由はないでしょうか?
私は自分自身も含めて、様々な人を観察してきましたが、それを見て一つ気づいたことがあります。

成果が出ている人と出ていない人の根本的な違いは、自分自身の抱えている問題・課題と向き合う本気度です。成果があまり出てない人達を見ていると、本気で自分自身の抱えている問題・課題と向き合わず、どこかで自分を偽ったり、ごまかしたり、他人のせいにしていることが多いものです。そしてセミナーの講師やカウンセラーが、自分を何とかしてくれるだろうと、どこかで頼り過ぎたりしているのです。

逆に本気で自分自身の課題や問題と向き合っている方々については、まるで奇跡が起こったかのように、物事が好転していくのを何度も目にしてきました。

私自身も様々なセミナーなどに参加して、もちろん期待通りの結果が出ないことも多く体験してきました。
(偏り過ぎた内容のものは論外として)

セミナーやカウンセリングに頼って、それらが自分を何とかしてくれるだろうと思っているうちは、何も変化が現れないものです。

ですので、自己啓発セミナーやカウンセリングを受ける時は、講師やカウンセラーに頼りっきりになるのではなく、彼らの力を一時借りて、自分自身が今抱えている問題や状況を、何とかしていこうという気持ちを強く持って取り組むことをお薦めします。






  


Posted by 「ほっ」とTime at 22:04Comments(0)★心のコラム

人から認められたくて仕事をしているのは良くないの?

人から認められたくて仕事をしているのは良くないの?

日本人の多くが仕事に就いていますが、自分自身の仕事をする動機について深く考えてみたことはあるでしょうか?お金の為、生活の為、地位や名誉の為、困っている人を助ける為等、その動機はたくさん有り、しかも複数の動機が絡み合っていたりします。

その中でも『人や世間に自分の存在を認められたい』という顕在的または潜在的な動機をもって仕事することについて、今日は考察してみたいと思います。

仕事は大きく括れば、誰かや何かの役に立とうとする行為ですが、それがもし『自分が人から認められたい』という動機で行っているのだとすれば、その取り組みをどのように思われるでしょうか? この場合は結局自己満足の為に行っているだけなのでしょうか?

例えばそれは、介護の仕事をしている人が、自分の存在を認めて欲しくて、一生懸命お年寄や体の不自由な方の世話をしているという状況に現れたりすることがあります。またボランティアなどの活動の中にも同様に現れたりします。

この状況に何かおかしさや、矛盾を感じられるでしょうか?

もしかしたらそれは何か少し変だと感じる方も多いかもしれません。

しかし人は表立って認められたいと思っていなかったとしても、心の深い所で自分の存在を認めて欲しいと、多かれ少なかれ思っていたりすることが多いものです。

ですので、もし自分が人から認められたくて誰かの役に立とうとしていたとしても、何も恥ずべきことではありません。

多くの人は、初めて仕事に就いたばかりの時、勝手が解らず上司や先輩社員から叱責されたり、お客さんから文句を言われたりして右往左往することを経験します。しかしだんだん仕事を覚え、経験を積んでくると、仕事の技術が上達したり、要領を覚えたりして、心に余裕が生まれてくるようになります。すると段々周囲から頼られるようになり、自分の仕事に自信が持てるようになっていきます。そうして自信が持てるようになってくると、今度は誰か困っている人の為に何か協力できることはないだろうかと考えるようになり、動機も次第に変化していくようになります。

最初は人から認められたくて始めた仕事も、この段階までくれば、その仕事が持つ本来の動機を持って取り組めるようになるので、そこで得られる喜びも大きくなり、自分の仕事に誇りを持てるようにもなります。

仕事に対して真摯に向き合い取り組み続けることが出来れば、最初は人や世間から認められたいという動機が心の中にたくさん有ったとしても、何ら問題は無く、ただ認められたいと思うところからスタートしていけば良いのです。






  


Posted by 「ほっ」とTime at 20:51Comments(0)★心のコラム

選択を迷う時

選択を迷う時

何かをしようかしまいか迷った時、あなたはどうしますか?

した方が良いのか、しない方が良いのか?
様々な状況を考えながら、結論を出していくと思いますが、それでもなかなか結論が出せないことがあります。

そんな時一番頼りになるのが、なんとなくそれはしたくない、或いはなんとなくしてみたいと感じる『なんとなくの感覚』です。

状況を考え、分析などしながら、
ここはこうであるべきだから・・・
ここで〇〇しておかないと〇〇だから・・・
等と考え選択していくと、理屈は合っているのに何故か結果うまくいかないということを体験することがあります。

それよりも『なんとなく感じる』感覚を大切にしながら、素直にそれを選択していくと意外に物事がスムーズに進んでいくことがあります。

例えばその日、体の調子があまり良くない状態で、ある人と会う約束をしていたとします。
その時、今日は何となくあの人と会って話がしたいとうい感覚があれば、会うことを選択します。

するとどうでしょう、その人と一緒にいるうちにみるみる調子が良くなり、聞きたいことや話したいことが十分に通じ合い、話が終わる頃には体の調子も良くなっているということが起こったりします。

これを状況に当てはめ、今日は体調が悪いし相手に迷惑をかけてしまいそうだからと、自分の感覚を無視して会うのを辞めてしまえば、体調は良くならず、気持ちもスッキリせず、そこであなたが受け取るはずであった必要な情報や贈り物さえも受け取ることができません。

もしこのように選択に迷う時は、状況をよく見て考えて決断を下すのも決して悪くはありませんが、それよりも自分の『なんとなく感じる』感覚を頼りに選択をしていくことによって、思わぬギフトさえ手にするかもしれない可能性にかけてみてはいかがでしょう。

もちろんなんとなくしたくない時も、その感覚に従ってみてください。そこにも思わぬギフトが隠れているかもしれません。money

  


Posted by 「ほっ」とTime at 18:40Comments(0)★心のコラム

心の老化現象

心の老化現象

肉体が歳をとるように、心も歳をとっていく・・・

肉体をこき使えば老化が早まるように、心もこき使うと老化が早まる。

心を酷使することの最たるものは、人の期待に応え、人から認められようとして生きること。

こうした心の使い方をしていると実に消耗の度合いが高くなる。
何故ならその心の使い方に、自分自身の『イノチ』を輝かせる動きが少ないからだ。

両親の期待に応えて進路を選択する・・・
身近にいる人の期待に応えようとして物事を選択する・・・

少なからずこうした動きの背後には、その人達から認められたいという欲求が見え隠れする。

こうした選択や生き方をしていると、だんだん気力が乏しくなり、物事に取り組むことが億劫になることが多い。

当たり前だが、人の期待に応えていかなければならない人生は、どこまで行っても人の期待に応えなければならないし、人から認められていなければならない人生は、どこまで行っても人から認められていなければならない。

これでは心が休まることは無く、疲弊が加速していく。

そのうち学校や会社に行くのが辛くなり、遂には行けなくなる・・・

そして自分の存在価値を見失い、死を選ぼうとしてしまう・・・

肉体は歳をとって自分の存在する役割が無いと感じると急速に衰え、最後は消滅していくが、心は自分が存在する価値が無いと思えば、肉体の老若に関わらず死を選択することがある。

私は今の仕事(相談業務)をしているからか、若くして死を選ぼうとする人が増えているように感じる。それはとても悲しいことだ。

なので、もし自分自身にもこのような心の老化現象が進んでいると感じる場合は、周囲の期待に応えようとして生きること、人に認められようとして生きることを手放し、自己の本質に対して積極的に関心を持つことをお薦めしたい。

本当は何がしたいのか・・・
何が心の喜びなのか・・・
何のために生まれてきたのか・・・

この世に生を受けたあなたにも、必ず生きる何らかの役割がある。
それを見出していくことに意識を向けてみて欲しい。

一人で自分に問いかけても、何も解らないし、何も出てこないという人は、あなたという貴重な存在としばらくの間共に歩み、本来の役割を見い出すヒントを与えてくれる心の専門家に相談してみることをお薦めする。





















  


Posted by 「ほっ」とTime at 11:43Comments(0)★心のコラム

心のレンズ

心のレンズ

昨日眼鏡のレンズを交換してきました。

ここ最近いくら眼鏡クリーナーで眼鏡を洗っても、白くぼけたように景色が映るので、レンズそのものを交換する時期に来ているのかもと思っての交換でした。

実際にレンズを交換してみると、景色がとてもクリアーで明るく見えるようになりました。昨日は天気も良かったので、様々なものが色鮮やかに見え、地球の美しさを改めて実感することが出来ました。

こんなにも見える世界が違うんだ!
と感動していたら、講座等で皆さんによくお話していることが、ふと頭に思い浮かんできました。

そのお話は、心の悩みは自分自身の物事の見方から始まるというものです。

私たちは、ある意味『レンズ』を通して様々な世界を見ています。『レンズ』というのは心の中にある思いだったり、思い込みだったり、見方だったりします。

この世は薄汚れている、あるいは不安でいっぱいだ等と感じている人は、茶色や黒のレンズを通して世の中を観ているかもしれません。
この世は憎しみや怒りに満ちていると感じている人は、赤黒のレンズを通して世の中を観ているかもしれません。

こうしたレンズで物事を見ていれば、何を見てもそのレンズを通した色で見えてくるようになります。
例えば『人は皆自分の期待を裏切る』『人は信用できない』等という思いのレンズを掛けているとすれば、出会う人出会う人皆そのように見えてしまうかもしれません。

もしかしたら私たちは、このように色のついたレンズで物事を観ることで、より色付いた解釈をしていることが多いかもしれません。

あなた自身は今どんな風に世の中が見えていますか?
世の中がそのように見えるのは、何色のレンズを通して、観ているからでしょうか?

また最近起こった出来事や、周囲にいる人々を、あなたはどんな色のレンズを通して観ているでしょうか?

もしその色の付いたレンズを外して、透明なレンズで世の中や人々、また起こった出来事や自分自身を観てみたら、どんなことが見えてくるのでしょう。







  


Posted by 「ほっ」とTime at 18:13Comments(0)★心のコラム

自分ではない何かになろうとしていませんか?

自分ではない何かになろうとしていませんか?

人は自分が素適だなと思う人に憧れをもつことがあります。

あるいはその素敵な人のように成りたいと思うことがあります。

しかし自分の足元を見ずに、憧れの人のように成ろうとしていると、いつか足元をすくわれたりします。

それとは逆に〇〇な自分ではいけない、〇〇な自分でなければならないと思いながら生きている人がいます。

このような人は常に自分自身にプレッシャーをかけています。

その為こうしたことが積み重なると、心がいつか疲弊してしまい、何をするのも嫌になったり、体を壊して動けなくなるといったことが起こってきます。

どちらのタイプの生き方をしていたとしても、本来の自分でない生き方をし続けていると、いつか無理が祟りそのしわ寄せがやってくるようになります。

もしこのようなことに心当たりがあるようでしたら、自分でない自分を一生懸命生きようとすることを、さっさと辞めてしまいましょう。

自分でない自分に成ろうと努力するよりも、本来(本質)の自分を見つけて、それを生きるようにすればよいのです。

まずは自分自身に興味を持って、本来(本質)の自分を見つけていくことから始めることをお薦めします。






  


Posted by 「ほっ」とTime at 20:48Comments(0)★心のコラム

どうしてもネガテイブな気持ちが浮かんでくるとき

どうしてもネガテイブな気持ちが浮かんでくるとき

前回の続きです。

どうしてもネガテイブな気持ちや考えが浮かんだり、心がネガテイブの方に傾き続けてしまう場合、その人にはその昔、とても辛かった体験の記憶があるかもしれません。

例えば過去、または幼かった頃に、大切に思っている人から存在を無視されたり、否定されたり、意見や気持ちを尊重してもらえなかったり等、とても辛く心が傷ついた体験をどこかでしているかもしれません。

そしてそのような体験が実は何回か繰り返されていて、その度に辛くなるので、辛く感じる気持ちそのものを麻痺させるようにして、心の奥の方にしまい込み生きてきた歴史があるかもしれません。

世間で言われるようにポジテイブシンキングを心がけ、一生懸命頑張りますが、何かの拍子に過去に受けてきたことと似たような刺激を受けてしまうと、心の底にしまっていたネガテイブな感情や気持ちが噴き出してきそうになることがあります。

そこでこのネガテイブな感情や気持ちを外に出してはいけないと、更に自分自身に強いプレッシャーを掛け、抑圧しようとすると、心が悲鳴を上げはじめ、遂に自分自身を保っていられなくなる状態がやってきます。身体に何らかの症状が現れたり、気持ちが落ち着かず、居ても立っても居られなくなってしまったり・・・

これは、心がバランスを保とうとする働きで、決して悪いことが起こっているわけではありません。
過去に溜めたネガテイブな感情や気持ちを放出させて、均衡を保とうとしているのです。

しかし、ネガテイブな感情や気持ちは決して人に見せてなならないとか、ネガテイブな気持ちを人前で出したら多大な迷惑をかけてしまうので決して出すわけにはいかない等のルールが心の中にあると、放出することが出来ないので、心がどんどんしんどくなって最後には死にたい等と思うようになってしまいます。

これは日本人特有の人に恥をさらすぐらいなら、腹を切って死んだ方がマシだ等と考える昔の風習からくるものもあるかもしれません。

しかしこんな時はどうぞ自分自身と戦うのを辞め、ネガテイブな感情や気持ちがどこから来ているのかを見ていくことを、まずはお薦めします。

一人で行うのが困難な時は、信頼できる誰かを頼るのも良いでしょう。




  


Posted by 「ほっ」とTime at 23:07Comments(0)★心のコラム

いつもポジテイブに考えていなければならない?

いつもポジテイブに考えていなければならない?

いつもポジティブ思考でいようと努力していると、いつかネガティブ思考に反転することがあります。

何故でしょうか?

そこにはネガテイブに対する否定があるからです。

ネガテイブなことを考える自分はダメだ等と・・・

果たしてポジテイブ思考は良いもので、ネガテイブ思考は悪いものとして扱うべきなのでしょうか?

この世は光と陰で成り立っています。

存在すれば影ができます。

存在に光が当たればその裏は影になります。

暑い時には日陰に行ったりしませんか?

もし日向ばかりだったら、暑い夏を乗り切ることが出来るでしょうか?

起きている時があれば、寝ている時がある。それが人間の自然な姿であるならば・・・

もしポジテイブであろうがネガテイブであろうが、あるがままの自分をただただ認め愛することができたら、私たちにはいったいどんなことが起こるのでしょうか?

あなたの心は今何を求めているでしょうか?


















  


Posted by 「ほっ」とTime at 23:49Comments(0)★心のコラム

心が疲れてしまう原因について

心が疲れてしまう原因について

人は幼い時に愛することをあきらめてしまうことがあります。

当時たくさん持っていた愛(お父さんが大好き・お母さんが大好き等)を、両親に充分受け取ってもらえなかったことがきっかけとなって、自分は価値の無い存在と思いこんでしまい、人を愛することをあきらめてしまうのです。

自分は愛が薄いなー・・・
優しさが足りないなー・・・
等と思ったことはありませんか?

もしこのようなことを思ったことがあるとすれば、幼い頃、両親にあなたの愛を充分受け取ってもらえなかった記憶があるかもしれません。

こうして愛することをあきらめてしまった人は、他者からの承認を得る為に多大なにエネルギーを使うようになります。
どうすれば人から受け入れてもらえるだろうか?
どうすれば人から認めてもらえるだろうか?

このようなことばかりに注意がいき、人から認められる自分(人に気に入られる自分)になろうと努力していきます。

どこかでいつも人の目を気にしているため、心はいつも忙しい状態になっていて、一人でいても休むことが出来ません。
これを言って嫌われないだろうか?
あれで本当に良かったのだろうか?
また今度会ってもらえるだろうか?
等と心の中は心配・不安でいっぱいです。

そして段々年を取る毎に息が切れるようになってヘトヘトに疲れていきます。
あなたが今もし、何をするのもやる気が起きないといった状態になっているとしたら、もう一度自分自身を見直し、あきらめてしまった愛を心の中に取り戻していくことをお薦めします。

  


Posted by 「ほっ」とTime at 21:49Comments(1)★心のコラム

人生がチグハグになる時

人生がチグハグになる時

自分の人生がチグハグになっていると感じることはありませんか?

思うことが出来ないまま時間ばかりが過ぎてしまうと感じることはありませんか?

もしそうだとすれば、この機会に自分は何を最優先してこの人生を歩んでいるのかを、整理することをお薦めします。

そして自分が優先していることを整理できたら、本当にそのことを一番大切にしてこれからも時間を過ごしていきたいのかと、心に問うてみましょう。

もしかしたら・・・他の誰かの都合に合わせてばかりの人生になっていませんか?
もしそうだとすれば、その人生は、とても疲れてしまいます。

人生は自分自身が創るもの。
残りの人生の時間をどう過ごしていきたいですか?



  


Posted by 「ほっ」とTime at 10:41Comments(0)★心のコラム

息詰まりは再生へのプロセス

息詰まりは再生へのプロセス

ここ最近会社に出勤するのが嫌でしょうがない・・・学校へ行くのが嫌でしょうがない・・・
等と思うことはありませんか?

この五月は自然界もそうですが、人の心にも新しい息吹が生まれよとしているのを感じます。
今まで行ってきたことに魅力を感じなくなっていたり、ある種の無意味感を感じている方は、一度人生の見直しをして、本当にこの先どういう人生を生きていきたいのか、深い部分の自分と向き合う時が来ているのかもしれません。

あなたの中で抑圧されてきた本音の自分が、新たな生き方を提案したいのかもしれません。
そんな心の声に耳を傾け、少しずつでも行動を改めていけば、気持ちがスーと軽くなって気分爽快になることでしょう。

誰に遠慮することはありません。
大切な自分自身の人生です。
素直な自分の心に向き合ってみませんか?


  


Posted by 「ほっ」とTime at 19:51Comments(0)★心のコラム

過去に囚われなくなる一番の近道

過去に囚われなくなる一番の近道

過去にあった出来事に対して、思い出したくないと思うことはありませんか?
過去の自分を見るのは恥ずかしいと思うことはありませんか?

過去に起こった出来事に対して、受け入れることが出来きなかったり、誤った捉え方をしていたりすると、過去を思い出したくないという気持ちになるものです。

過去にひどくショックな体験をして、思い出したくない気持ちになったり、思い出せない状態になるのは、ある意味人間として自然なことでもあります。心にゆとりが無かったり、心が強く(大きく)なれていなかったりする時は、過去のショッキングな記憶を扱うことは出来ません。

しかし過去に起こった出来事を忘れようとしていたとしても、脳の記憶の中にそれはあり続けるので、思い出さないよう無意識に心のエネルギーを使っている状態が続きます。それが再びショッキングなことに出会ったり、別の強い刺激を受けた時に、押さえていた心のエネルギーが弱まり、過去のショッキングな記憶が蘇って、心を取り乱してしまうということが起きたりします。

こうして過去に起きた出来事に対して、それを心が受け入れられない状態が続くと、いつかそれを受け入れられるようエネルギーが働くようになります。


また起きた出来事に対して、間違った解釈をしている場合も、何度もそれを見直すように、似た現象を引き寄せるようになります。

例えば、ある日友人があなたの行為の間違いに気付いて真剣に忠告したとします。真剣さのあまり友人の言い方がかなりきつくなってしまったとしましょう。あなたはそれを忠告ではなく、批判と捉えたり、あの言い方は許せないと心の中にわだかまりを抱えたまま、その友人をその後避けるけるようになっとします。

するとその友人からは忠告を受けなくなりますが、今度は職場等であなたが何か間違ったことをして気づかずにいる時、上司からえらい剣幕で注意されるという様なことが起こるようになります。

そこで、これは確かに言い方はきついが自分の為を思って言ってくれているのだ、今の上司にはこうした言い方が精一杯なのだと気付ければ、その後この上司との関係も良くなることが期待されます。しかしここでまた自分を批判されたと捉え、あの言い方は許せないと思えば、上司を恨むようになり、関係がうまくいかなくなって会社を辞めたい等と思うようになります。

その後上司とうまくいかず仮に会社を辞めたとしても、再就職した会社や、あらゆる人間関係の中で同じようなことが起こり、そこで気付きが無ければ、人間関係が悪化していくということを繰り返していきます。そして最後には自信を失い、孤独な状態に追い込まれて、生きる希望さえ見つからなくなってしまうということが起こるかもしれません。

ですので私たちにとって良かれ悪しかれ過去の経験というのは、とても大切な財産でもあるのです。その中に負の財産と思われるものがあれば、それをありのままに観て受け入れ、その結果を生み出した自分の行いを見直す必要があるのです。

こうして真摯に過去と向き合える自分になれれば、むしろ過去を手放し過去から学びを得て自由になることができます。どうしても過去に目が行ってしまう、あるいは過去を異様に避けようとしている自分がいるのであれば、積極的に過去に向き合って観ることをお薦めします。



  


Posted by 「ほっ」とTime at 19:56Comments(0)★心のコラム

人が自分を嫌いになるとき

人が自分を嫌いになるとき

私たちは時として、自分自身のことが嫌いになることがあります。

人の期待に応えられなかったとき・・・
物事をうまく運べなかったとき・・・
ミスをしたとき・・・

そして人間関係でうまくいかなかったとき等です。

ちょっとした発言や態度で人から嫌われることがあります。
また必要以上に相手を責めてしまって、そんな自分が嫌になることがあります。

何れにしても生きていて、うまくいかないことが多くなると、次第に自分が嫌になっていくものです。そしてそれが高じると、自分には価値が無いとか、生きていても仕方がない等と思うまでになってしまいます。

しかし、うまくいかないことが続いた時、本当は落ち込む必要はないのです。
なぜなら、ただそうしてしまう自分がいるだけだからです。

ただそうしてしまう自分を責める必要もありません。
どうしてそうしたくなったのか、まずは心の深い所にいる自分に聴いてみることから始めてみましょう。

そうすれば、あなたが本当にしたいと思っていることが、次第に見えてくるかもしれません。
なんとなくそれが見えてきたら、ただただそれを感じてみましょう。そこにこそあなたが本来進みたいと思っている道があるかもしれません。

  


Posted by 「ほっ」とTime at 12:40Comments(1)★心のコラム

自分に罰を与える生き方は・・・?

自分に罰を与える生き方は・・・?

私たちは自分が犯した過ちを許せなくなることがあります。

余計な一言を言って人間関係を破綻させてしまったり、判断を間違えて重大な問題を引き起こしてしまったりと、人は生きていれば様々な過ちを犯してしまうものです。

しかし過去に犯した自分の過ちを許すことができず、だから自分はダメな人間なのだと、自分を責め続けていると、いつの間にか自分に罰を与え続ける生き方になってしまいます。

例えば、自分が言った一言で人間関係を破たんさせてしまったことが許せずにいる人は、一言で人間関係が壊れてしまう人と関係を作っては、たった一言でその関係が破たんすることを何度も繰り返し体験していくようになります。

自分の判断の間違えで、人を傷つけてしまったことが許せずにいる人は、自分を傷つけるような人と縁を持ち、散々傷つけられるという体験をしながら精神的・肉体的病に侵されていくようになったりします。

このように自分の犯した過ちを許せず責め続けていると、何時しか自分自身を傷つけ破壊する人生になってしまうのです。

では、私たちが何か過ちを犯してしまった時、それをどのように対処すれば良いのでしょうか?

まず最初に取り組むのは、それが本当にその人が犯した過ちなのかどうかを客観的に検証することです。カウンセリングをしていると、なかにはその人の過ちではないケースもあるからです。こうした場合は、過ちを犯した思い込みが解かれれば、事実が見直され、適切な対処が可能になります。

では実際に過ちを犯してしまった場合はどうすればよいのでしょう。
まずその時は、犯した過ちを認め、その過ちを犯した自分の未熟さをしっかりと認めるようにします。そしてその対象が人であれば、出来る限りのお詫びをします。もう会うことが難しいようなら心の中でしっかりお詫びをします。

更に実際その時、どのような選択や判断が適切だったのか、客観的に心が納得いくまで再検討します。本当はこうすれば良かったのだと気づくことができたら、それを相手に伝えても良いし、心の中でその選択をした時のシュミレーションをすると良いでしょう。

このことが出来ると、心が幾分落ち着いてきます。
心が落ち着いてきたら、この体験から学んだ教訓を今後に活かすと決めます。

このようなステップを踏むことができれば、過ちを犯した自分を逆に生かすことが出来るようになります。どんな過ちも犯したからダメなのではなく、そこから学んで再び人生にチャレンジし、次に同じようなことがあっても、今までとは違った素晴らしい選択が出来るように成長していくことが大切です。

そうして過去に躓いた問題に再び出くわした時、別の対処の仕方で良い結果を体験することが出来れば、自信が回復するばかりか自分自身に感動するようにもなります。

過去の過ちに対して後悔するだけでなく、しっかりと過去を見つめ、その経験をどのように生かしていくか見出していくよう心がけてみましょう。







  


Posted by 「ほっ」とTime at 18:33Comments(0)★心のコラム

相談する人を間違えると大変なことになる・・・

相談する人を間違えると大変なことになる・・・

あなたは相談をする人を間違えたと思ったことはありませんか?
その人に相談したことによって、不本意な道を歩むことになってしまったと心のどこかで思ったことはありませんか?

親しい友人だから・・・身内や家族だから・・・と気を許して相談し、アドバスをもらってその通りやってみたものの、心はちっともスッキリしないし、余計苦しくなってしまった等ということはよくあることです。

身内だから自分を一番よく見てくれていると思うことや、友人だから親身になってくれて安心等と思うことには、落とし穴があります。なぜなら身内や家族は、あなたと一緒にいる時間は長いかもしれませんが、その分あなたの本質や、本心を見落としていたり、〇〇だと決めつけていたりで、本当に理解しているとは限りません。また友人というのは、あなたと同じような価値観を持っている人が多いため、あなたの思いや考えに同調しやすいという傾向があります。

その為、夫や恋人の悪口を言えば多くの場合、友達であれば同調するでしょうし、家族ならあなたの肩を持つことでしょう。
しかし他者に同調をしてもたったところで、その問題は解決することはありません。

以前にこんな例がありました。
ある女性からお付き合いをしている彼とのことで相談を受けた時のことです。その女性は長年付き合った彼と「もう別れようと思う」と言ってきました。その理由を聴くと、彼が自分に向き合ってくれないからというのが主な理由でしたが、更にその女性の友人数人からも、「そんな彼はあなたのことを大切に思っていないから、別れた方がいいよ」とアドバイスされていたようです。私はその女性と、お付き合いしている彼の両方を見ていたので、二人の関係性やご縁の深さを感じ取っていました。

そこで私は、その女性に「君の気持ちはわかったので、別れるにしてもそうでないにしても、もう一度彼の気持ちを聴いたり、話し合ってみたらどうだろう・・・きっとその方が、答えがどっちに出るにしてもスッキリするんじゃない」とアドバイスしました。

すると女性は、それはそうだね。今晩話し合ってみると言って相談を終えました。

その後どうなったでしょう?

その女性は、言葉通り彼とじっくり話し合いをして、互いの気持ちがすれ違っていたことや、自分が彼の気持ちを誤解していたことに気付いたそうです。そして二人の関係は修復され、その後数年して結婚しました。今では二人の子供を彼と共に育てています。

この事例が示すように、人に相談する時は、その人があなたにとって適切な相談相手なのかどうか、まず見極めなければなりません。もし相談する人を間違えてしまえば、不本意な道を歩むことになってしまうかもしれません。

あなたが相談している(相談しようと思う)人は、あなたの本質や本心を見てくれていますか?
あなたに同調してくれる人が、あなたの幸せへと導く人であるとは限りません。
あなたの味方をしてくれる人だけが、あなたの幸せへと導く人であるとは限りません。

大切なのはあなたの本心であり、自己の本質が何と言っているのかを知ることです。
もし人に相談するなら、その部分を見てくれる人に相談することをお薦めします。





















  


Posted by 「ほっ」とTime at 00:39Comments(0)★心のコラム

自分を変えることより認めることから始めよう

自分を変えることより認めることから始めよう

私たちは至らない自分に出会った時、その自分を恥じらい、悔しく思ったり、落ち込んだりすることがあります。

そしてまた同じような気持ちを味わうことの無いように、自分を一生懸命奮い立たせ変えようとします。

しかしこれは至らない自分を否定することにもなり、心には知らず知らずの内に負担を掛けてしまっています。

そして変れた(出来なかったことが出来るようになった)と思ったその瞬間、自分と同じようなことで至らなさを露呈した人に対して見下してしまうことがあります。

この人を見下すという行為が現れるのは、過去に至らぬ自分を忌み嫌ったことによって、その嫌われた方の自分が、無意識のうちに他者に対して報復をしているのかもしれません。

ですので到らない自分にもし出会った時は、自分を恥じらい変えようとするよりも、その至らない自分を素直に認めることから始められれば良いのです。そうすれば心に無理な負担を掛けることはありません。

友達よりも泳ぐことが出来ないなら、その泳ぐことが出来ない所から練習していけば良いだけです。
勉強でも、仕事でも、恋愛でも、人間関係でも、コミュニケーションでも、うまく出来ないのであればそこから始めていくしかありません。

ですので詰まるところ私たちは、無理して自分を変えようとすることよりも、今の自分をそのまま認めて、そこからただ始めればよいだけなのです。








  


Posted by 「ほっ」とTime at 23:49Comments(1)★心のコラム

人から認められることより自分自身を認めること

人から認められることより自分自身を認めること

私たちは心が寂しくなると、どうしても人からの関心や認知を得たくなります。
中には心がとっても寂しがっていて、人から注目されるだけで満足する人もいます。

しかし人からの注意・関心を集めることばかりにエネルギーを使っていると、ふとした時に自分が何で生きているのか解らなくなることがあります。そして一人になった時に、とても虚しい気持ちになってしまうことがあります。

人からの評価を得ようとして頑張っている人は、評価が得れられなくなった途端、自分の存在価値が無くなったように感じてしまいます。

自分が何らかの役割を担ってそればかりに精を出している人は、その役割を終えた途端、抜け殻のようになってしまいます。

こうして人は、自分の存在価値を他者や社会に依存し、一生懸命頑張って認められようとする傾向があります。

しかしこのことに比重が行き過ぎると、様々な不調和を体験することになります。
身体的病、精神的病、人間関係のトラブル、ワーカーホリック、その他諸々・・・

私たちの心はどうしても外に関心が行きがちですが、本当はもっと自分自身に対して関心が必要です。
今本当はどうしたいのかな?
それは自分にとって本来必要なこと?
最近少し無理していない?
自分自身に問いかけることや、自分と真摯に向き合うことを抜きにして、何かに没頭し続けていると、時々痛い目に合ってしまうことがありますね。

更に私たちは、自分自身に対して深い興味を示すことも大切です。
自分なんてこんなものだろうと高を括って生きているとすれば、成長は難しく、むしろそれは自分自身を蔑ろにした失礼な態度をとっていることにならないでしょうか。

どんな宝が自分の中に眠っているかわかりませんし、そもそも自分が思っている自分とは、全く違った存在である可能性もあります。

かつて私も自分自身に対して勘違いしていた一人でした。自分を感じることを徹底して行った時、あまりの違いにびっくりしたことがあります。自分が思っていた自分とは全く質が違っていたからです。

多くの人達が、諍いや、心の葛藤を抱えている今日、自分自身への深い深い関心が必要とされている時代に入ってきているのではないでしょうか。我欲優先で感情的な自分ではなく、奥にある本質の自己を感じ、それとしっかり向き合い関わっていく姿勢が、今私たち一人一人に求められているのではないかと思われます。






  


Posted by 「ほっ」とTime at 22:40Comments(1)★心のコラム

頑張ることが良いこと?

頑張ることが良いこと?

頑張ります!
という言葉があちこちで聞かれます。

誰かに会った別れ際に「頑張ります!」「頑張ろう!」等と言い、
誰かに褒められて「頑張ります!」と答え、
世話をしてくれた誰かに「頑張ります!」と言う。

まるで頑張るという言葉が挨拶代わりに使われているように感じることがあります。

日本人は頑張ることがそんなに好きなのでしょうか?
本当に心から頑張っていたいと思っているのでしょうか?

なぜ頑張るという言葉が、やたらと使われるようになったのだろうかと、
ふと考えてみた時に、思い当たるのは日本人の勤勉さのような気がします。

日本人にとって学ぶことや働くことはとても良いこととされ、逆にそれをしていない人は低評価される傾向があります。
こうした日本人の価値観の中では、周囲から最も認められやすい姿勢が「頑張っている」ということではないかと思います。

それ故、頑張っているという姿勢を人様に見せていれば、自分が人様から認められるという意識が心の中に存在していて、それを無意識の内に合言葉として使っている側面が見え隠れします。つまり頑張ろうの後に続く言葉は、『頑張れば人様(世間)から認められるからね・・・』なのです。ですので頑張るという言葉を使っている人たちの多くは、本当に頑張りたくて言っているのではなくて、人から認められたい思いがあって、この言葉を使っているのが現状ではないかと思います。

こうして頑張り続けた人の中には、勉強し過ぎて燃え尽きている人、仕事を頑張り過ぎて疲れ果てている人、スポーツをやり過ぎて体を壊している人達がいらっしゃいます。頑張ることだけに日本人の意識が偏っていくと、心や体のバランスを崩して不調を訴える人が増えていくのは、容易に想像することが出来ます。

自分の心や体を壊してまで、人様から認められようとする必要はあるのでしょうか?
一人一人の人間は、たとえ世間や他人様から認められなかったとしても、自然が認めた尊い一個の存在です。

人様から認められる為に自分を犠牲にし続けることよりも、自分という存在を尊重し認めることの方が大切です。
やり過ぎているなー、頑張ったなー、と感じる時は、どうぞ遠慮せずに息を抜いて、自分自身を労わることに意識を向け、自分というありがたい存在を大切にしてあげましょう。








  


Posted by 「ほっ」とTime at 22:22Comments(0)★心のコラム

自分に厳しすぎることはありませんか

自分に厳しすぎることはありませんか

あなたは自分自身に対して厳しすぎることはありませんか?

出来た人間でなければならない・・・
気遣いの出来る人間でなければならない・・・
弱音を吐いてはならない・・・

様々自分自身に条件を付けて、その条件を満たしていないと、必要以上に自分のことを責めてしまう・・・
そんなことはありませんか?

どこか日本人は完璧である美しさを様々なものに求める傾向があるようで、当然自分や他者にそれを求めがちになります。そして繊細な感覚を持っているが故、そのチェックは細かく厳しくなる傾向があり、もちろん自分や他者に対してそれを行いがちになります。

電車が数分遅れただけで、許せない気持ちになったり、ちょっとした人の間違いを突きたくなったり・・・
職場では上司から、家庭では姑さんから、細かいことを散々注意され、うんざりした気持ちになったことは、多くの方が経験しているのではないでしょうか。

きめ細かな配慮や行為は、確かに美しさを作り上げ、それを観ているのは心地良く感じらることもありますが、そこにばかりにこだわって心がギスギスしてしまうのであれば・・・完璧な美しい自分になろうとして、そうでない自分を見て苦しんでしまうのであれば・・・

もしそうであるならば、その人は大切な何かを何処かに置き忘れているかもしれません。

その大切な何かとはなんでしょう?

完璧さの陰に隠れているのは寛容さかもしれません。
失敗や一時の過ちを許し、受け入れていく寛容さを培っていくのも、人として美しさの一つになるのではないでしょうか。

そして自分に対しても他者に対しても寛容な心を持った人が増えていけば、今よりも救われる人が多くなるのではないかと思われます。














  


Posted by 「ほっ」とTime at 23:03Comments(0)★心のコラム